2015年4月1日水曜日

六歌仙と七福神

「六歌仙の暗号」というミステリー小説を読みました。
真実はさておき、面白かったのでちょっと考察。

六歌仙は平安時代、紀貫之が代表的歌人6人を選んで、その歌を書物にまとめたものと一般的に言われています。
しかし、これは表向きで実は暗号が隠されていたのです!!

ここで、平安時代を振り返りましょう。
平安時代!、藤原氏の摂関政治の時代でもあり、794年(ナクヨ)うぐいす平安京、とごろ合わせでも覚えた立派な都が作られた時代でもあります。
何か平和な感じがしませんか?

実は、その逆でぜんぜん平和ではなかったのです!
教科書では、藤原氏の摂関政治が始まった、と記述しているだけですけど、その裏では藤原氏が権力を握るために、それはそれは権謀術策をしています。
つまり、「気に入らんやつは追っ払ってしまえ!」と言って、次々と無実の罪をつきつけたり島流しにしたり。。。

当然、藤原氏を恨んだ人も多かったはず。
その一人が、紀貫之。
でも、藤原氏が権力を握っているのでどうすることもできません。
よって、当時の人は呪いを込めた歌を作ることによって、反抗したのです。
つまり、「のろいのわら人形」と同じですね。

紀貫之はそういう歌を集めて歌集にしました。
それが、「六歌仙」。
例えば、小野小町、在原業平、僧正遍昭 など六歌仙の人物はみんな不幸な運命をたどっています。

さすがに、藤原氏も「やりすぎた!」と思ったのでしょう。恨んで死んでいった人たちを祭るために、神社やお寺など作って供養したのです。
「どうか、恨まないで下さい。安らかに眠って下さい。神様、仏様。」
つまり、恨んで死んでいった人たちを神様にすることで許してもらうわけです。

ここでようやく出来てきましたけど、七福神という神様は、不幸な運命をたどった六歌仙の歌人に相当するのです。
日本史というのは、不幸にして死んでいった人ほど、神様にしたり、すごい名前をつけたりして大事にする、怨霊信仰で成り立っているのです。
例えば、聖徳太子。彼の末裔はことごとく虐殺されています。
よって、恨まれないように、「聖徳」という立派な名前を後に付けて祭ったようです。

六歌仙だけじゃなく、古事記、日本書紀、古今和歌集、またまた百人一首など古典書物はいろいろ裏事情があるうようです!?

僧正遍昭の歌、

「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ
           世をうじ山と 人はいふなり」

この歌、隠れた暗号が隠されているようですよ!!

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