・645年 大化の改新
・663年 白村江の戦い
・667年 大津京(近江京?)へ遷都
・672年 壬申の乱、飛鳥へ遷都
・694年 藤原京へ遷都
・710年 平城京へ遷都
・720年 日本書紀完成
ここで注目は、日本書紀が完成するまでの間に4回も遷都が行われていることですな。せんと君もびっくり

都を移すのに莫大なお金がかかるのにそれでも4回も遷都したのは、世の中が不安定だったからと言われています。
では、なぜこんなにも世の中が不安定で混乱していたのでしょう[emoji:v-361]
ここからは、私の勝手な推理です。ごめんあそばせ[emoji:i-179]
それは、”大化の改新に正義はなかった[emoji:i-199]”と推理します。
中大兄皇子も中臣鎌足も、自分たちが権力を握りたいがために蘇我入鹿を殺害するなんてちょっとやり過ぎた!、と内心思っていたのではないでしょうか[emoji:i-198]
自分たちに後ろめいたい気持ちがあり、周りもなんとなく分かっていたので、人がついてこなかったのではないかと思います。
その結果権力争いが絶えず、民は飢え、都を変更せざるを得なかったのではないでしょうか。
そして遷都だけでなく別の方法も考えたのが、”言霊の力”、つまり言葉ですな。
当時はもちろんテレビもラジオもインターネットもないわけですから、手紙や本や歌(和歌、漢詩)などは情報を伝える一番有力な手段だったはずです。
ここでようやく日本書紀の出番だ。
日本書紀を編纂することで”言霊の力”を使おうとしたに違いない[emoji:i-198]
さあ、日本書紀によって正義を主張するときがきた[emoji:i-190]
いよいよ確信に迫る聖徳太子の謎。
次回part6へ続く。
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